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山奥の思い出

人間に前世はあるのだろうか?

誰かの記憶を引き継いで産まれてくることはあるのだろうか?

 

現代科学では、どちらも明確に否定されていることだろうし、人間は両親から引き継いだDNAという設計図を基にして産まれてくるのだから、そこに乗りようのない情報をもって産まれてくるはずはない。

遺伝として引き継がれる情報も、例えば肌の色、血液型、体質などであって、記憶とはいかなくとも、趣味趣向までもが先天的に決定されるだろうかと言えば、常識的には生まれてからの環境によって決定される、というのが常識的な見解なのだろうと思う。

 

母方の実家は山形県の寒河江市、その市域でも最も山奥に入った村で、古くは国内有数規模の産出量を誇った永松銅山との荷物の中継で商を営んだとのこと。父親の生まれはその永松鉱山で、父方の祖父は鉱山の機械技師だった。

幼少の頃、夏休みになって母方の実家に帰省すると、祖父はいつも永松鉱山跡を超えてひたすら砂利道(今の国道458号線。ちなみに砂利道の国道は全国でもここ只一か所で、その筋では有名である)を運転し、肘折温泉に連れて行ってくれた。永松鉱山は既に廃鉱となり、極めて山深い山中に廃墟が残っているだけであったが、幼少の私は永松鉱山の話を耳にすると、そこに行ってみたくて堪らない気持ちになったものだった。それは好奇心というよりも、何かの自分の起源がそこに有るような、何とも言えない焦がれるような気持だったのを良く覚えている。

肘折温泉は、知る人ぞ知る名湯。冬場は2mも3mも積もる豪雪地帯の山中に、まるで昭和の時代で時が止まったような街並みが並んでいる。事実、小学校低学年の頃に祖父に連れられてきた時と大きく変わらない街並みがそこにはある。流石に木造の旅館は建て直されたものも多いけれど、風景自体はあの頃と同じなのである。

肘折温泉の湯は、大きく分けて公衆浴場の「上の湯」に注がれる無色透明の湯と、各旅館に引かれる共同源泉の、茶色く濁った湯がある。上の湯の泉質は、坊ちゃんで有名な道後温泉に近く、とてもさっぱりとして爽快な温泉。共同源泉は、とても良く温まる優しい湯。どちらも最上のお湯で、入れば入るほどストレスが解消され、心が穏やかになり、健康になっていくような気がしている。

永松銅山と肘折温泉の関係は長い。大蔵村側から山に入ると、険しい谷を越えてカルデラ地形の肘折温泉に入り、ここから川沿いに数キロ遡上すると永松銅山がある。冬場は余りの積雪のため下界と完全に遮断される永松銅山にとって、ようやく雪が消えた時期に肘折温泉で疲れを休めた人も多かったことだろう。

さて。

冒頭に書いた「前世」「記憶」というのは、私自身の体験である。

私は幼少の頃から機械や電気が好きだった。これは、機械設計技師だった父方の祖父、陸軍の通信兵だった母方の祖父の隔世遺伝であることは間違いないものの、小学校の頃から真空管が大好きであることのほか、実は私には、先天的に山芋、酢漿草、昼顔、オニドコロ、ニガカシュウなどの葉っぱが「死ぬほど大嫌い」という性質がある(手で触れでもしようものなら死ぬか発狂するレベル。見るのも嫌だし靴で踏むのも嫌)。いずれも共通するのはハート形の葉っぱ、という事なのだけど、良く似た朝顔やシロツメクサ(クローバー)は何ともないし触っても平気なのである(ちなみに家族にも同じように先天的に蛙に拒否反応を示す人もいた)。これは、後天的に何か嫌な体験があったというのではなく、先天的に理由なくダメなものはダメ。全く科学的根拠はないのだけれども、もしかしたら戦時中、南方戦線において極度の飢餓状態に追い込まれた祖父が、命を繋ぐためにその辺にあったありとあらゆるものを口にした体験?が遺伝しているのではないか?とも思ったりしている。祖父は、骨と皮だけになって餓死寸前で終戦を迎え、運よく帰還してきた人であった。

 

大学院時代に極度のストレスに苛まれたとき、頭に思い浮かんだのは「山形の自然の中に行こう」という思いであった。オートバイに乗り、延々400kmを走り、祖母宅へ。そこから更に山中に入り、自分の足で永松鉱山跡へ。そこには、本来の自分を取り戻させてくれる自然があった。肘折温泉に入ったら、その数年前に亡くなった祖父との思い出が心に浮かんだ。嗚呼、やっぱり人間は自然の中でこそ生きられる存在で、自然に生かされているのだな、山の神様には感謝しないといけないんだな、という思いを新たにしたものだ。

戦後の日本は、田舎を時代遅れの恥ずかしいものとし、コンクリートに囲まれた都会がかっこいいものとした。農業は遅れているとバカにし、ハイテク産業がもてはやされた。しかし、それで良いのだろうか?

近い将来、必ず日本は没落していく。高齢者が国の大半を占め、産業は斜陽化する。もとより、日本の何倍もの人口を抱え、若い勢いに満ち溢れている中国をはじめとしたアジア諸国のエネルギーに勝てる訳はない。そうなると、国力が衰えた日本は外国から食物を輸入しにくくなり、食べ物に困るようになっていくだろう。その段階で、多分農業が見直され、昔のように、まずは食料を自給するところから再スタートして国づくりをしていくことになるのではないかと思っている。

無論、私は幼少の頃から田舎に馴染みがあるので、排他的な空気など田舎独特の悪習があることも承知している。それを変えていき、来る21世紀中盤から後半にかけて、世界の中でも豊かな自然と美味しい食物に恵まれた「素敵な田舎」としての魅力がある国になっていかないかな、なんて事を思っている。

みんな、もっと田舎に目を向けよう。自然の中に身を置いてみよう。

都会でストレスにまみれた日本人が忘れてしまっている、人間本来の姿が見出せるんじゃないかな。

 

 

うーん。我ながら全くまとまりのない文章。及第点以下だなこりゃ。

新年早々お目汚し失礼いたしました。

 

2018年1月2日

肘折温泉の某旅館にて。